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好雪 片々不落別処

こうせつ、へんぺんべっしょにおちず・・・そして、ありのままの毎日を。

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昨日は、ケマル・ゲキチのレッスンを受けてきました。
受講した曲目は、ラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲です。
はじめに通した演奏が予想していたよりよくなかったので、
後一月の事を思うと、ふうっ。といった感じです。

ゲキチのレッスンは、
私の出来のせいもあると思うけれど、細かく、具体的。
どこまでも、親切で親身になって熱意を持って教えて下さった。
演奏のヒントは沢山いただけたし、
おかげでスルーになった部分も沢山ありました。

けれどそんな中。
やはり自分にとっての問題点を、
今までいろんなところで指摘を受けたのと同じように指摘され、
自分でも感じる事となる。
ここ数年の、いや、実際はもう随分前からの課題だと思うのだけど、
自分の前に見えて、どうしても、乗り越えられない大きな壁がある。

それは、作曲家との、演奏との、聞き手との距離感という問題だ。
私は各作品に対して、同じアプローチで入っているらしく、
同じ距離感でみんな同じに聞こえてしまう。
曲に対してみな一様に一生懸命になってしまうのだ。
しかし、その一生懸命さが、
時に聞き手のファンタジーを奪い、気分を萎えさせる。
さらりと弾かれた演奏に、心を動かされるという事はあるのだから。

では、私という存在は、演奏において、どこにあればよいのか。
私の思いでもなく、かといって楽譜を弾き移したものでもなく・・・
演奏中の、私という存在の置き場所がわからない。

曲を理解しよう。という個(作曲家)に向かう熱意と、
演奏という多(聴者)に向かう思いの二律制の問題がクリアでないのかなぁ。

もっとエレガントに弾けばよいのに、
もっと冷静に弾けばよいのに、
もっと肩の力を抜いて弾けばよいのに、
と内心思われているのだろうといつも感じる。
悪くない、頑張っているんだけどね・・・というような。

でも、もしそうだとしても、
自分が納得しなければ、
安易に、肩の力を抜いて演奏する事も出来ない不器用な私。
ピシャリと納得のいく作曲家との、演奏との距離感をみつけたい。
落ち込んだ夜を過ごし、
一夜明け、投票を済ませ、
白鶴美術館辺りのむせかえるような緑の下り坂を歩きながら考えていた。

今回のコンサートを通して、
少しでも、その問題に自分らしい解答が出せるといいと思う。
そして、こういう問題に直面できる所まで来れたんだ。
と、ひとり褒め慰めて、前に進むしかない。

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生涯、回答は無いと思いますよ。
あなたの進化と頑張りにエールを送ります。

2010.07.11 12:49 URL | Shamo #h9r1zmFw [ 編集 ]

エール、どうもありがとうございます。 
また、素敵な環境でレッスンさせて頂け、ありがとうございました。 


これが人間性なのかしらん?
と凹む日ばかりですが、 
笑顔でがむばりますぅ♪ 

2010.07.11 13:49 URL | ぴあのりこ #- [ 編集 ]












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